「千代の富士は、なぜ一代年寄にならなかったのだろう」
横綱白鵬の「一代年寄」襲名問題が世間を賑わしています。
今まで一代年寄になったのは、大鵬(第48代横綱)、北の湖(第55代横綱)、貴乃花(第65代横綱)の3名です。
昭和の大横綱「千代の富士」にその権利はなかったのでしょうか?
昭和世代の方にとって、強いお相撲さんはやはり横綱「千代の富士」です。あんなに強かった千代の富士でさえ、なれなかった一代年寄。
なぜ、千代の富士は一代年寄になれなかったのでしょうか?
このブログでは、千代の富士と一代年寄の関係について深堀りします。
ぜひ、今回の騒動で話題になっている角界制度「一代年寄」と「千代の富士」の関係に対する疑問を解消してください。
目次
一代年寄にならなかったのは、千代の富士が辞退したから
結論から言うと、千代の富士がその権利を辞退したため一代年寄「千代の富士」は誕生しなかったのです。
辞退した理由は諸説ありますが、「部屋の名前は一代限りで無く、末永く続くものにしたい」との理由で辞退したのでした。
千代の富士にとって一代年寄とは
一代年寄と九重部屋を天秤にかけたとき、九重部屋の継承のほうが優先度が高かったのでしょう。
普通に考えれば、親方になることが保障されているのなら幕内力士が多数所属して体制が整っている九重部屋の方がメリットが高いです。
個人的に考えてしまうのが、弟弟子である北勝海に九重部屋の年寄株を取られたくないと思ったのかもしれないということです。
師匠「北の富士」の影響?
千代の富士は、新しく部屋を起こすことの大変さを知るが故、一代年寄ではなく九重部屋を継承することを選んだことが想像できます。
事実として、千代の富士の師匠である北の富士は、大関時代に出羽海部屋から分家独立した九重部屋所属になったことで生活状態が厳しくなったらしいのです。
千代の富士は、そのことを伝え聞いていたのかもしれません。
そうだとすれば、損得勘定で「独立よりも九重部屋を継承する方がおいしいと感じるのも不思議ではありません。
部屋に対する恩義も果たせて、自分にとってもメリットがあるなら九重部屋継承を選択するのも良い選択と言えるのかもしれません。
一代年寄とは
明確な規定があるわけではありませんが、
一代年寄とは、現役時代の功績が著しかった横綱に対して、現役引退後にその横綱一代に限って認める年寄名跡です。
一代年寄の条件
明確な基準が存在するわけではありませんが、目安として幕内優勝が20回以上となっています。また、通常の親方と同様に日本国籍は必須となります。
一代年寄を辞退した力士がいるのか?
一代年寄は、大変名誉な制度なので辞退すると言うことは通常は考えられません。
今までに条件(優勝20回以上)をクリアした力士は、以下の通り。
- 白鵬(43回)
- 大鵬(32回)
- 千代の富士(31回)
- 朝青龍(25回)
- 北の湖(24回)
- 貴乃花(22回)
有資格者は歴代6名です。
そのうち、朝青龍に関しては日本国籍を取得していないため該当せず、白鵬に関しては現在問題となっているところです。
残り4名のうち3名は一代年寄を襲名しています。
一代年寄を辞退したのは、千代の富士ただ一人です。
【まとめ】千代の富士が一代年寄にならなかった理由
いかがだったでしょうか?今世間を賑わしている一代年寄の襲名問題。過去に辞退した千代の富士と一代年寄の関係を深掘りしました。
過去の報道等を整理すると、ご自身を育ててくれた部屋や師匠(北の富士)への恩義を果たしつつ、旨味があった九重部屋継承を選択したと言うのが妥当な解釈であるでしょう。
確かに、一代年寄はたいへん名誉なことではありますが、千代の富士にとってご自身の名誉よりも大切にしたいものがあったということです。
私の少年時代、圧倒的な強さを誇った千代の富士。
己の名誉よりも、恩義と実を選択するという生き様。やはり、カッコいいと思わざるを得ないですね。
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