竹中平蔵さんが出演したテレビ番組内で、オリンピック開催についての持論を展開し話題となっています。
「東京2020オリンピック・パラリンピック」を開催すべきとする理由の一つが1920年に開催された第7回アントワープ大会の存在です。
1918年から1920年にかけてスペイン風邪が全世界で流行する中、1920年にベルギーで開催されたアントワープオリンピック。
そんな世界的に厳しい状況の中で開催されたオリンピックで活躍した日本人選手がいるのです。
この記事では、アントワープオリンピックで活躍した日本人選手とその功績について取り上げます。
同じ日本人として誇らしい気持ちになるので、ぜひご覧ください。
目次
アントワープオリンピックで活躍した日本人って誰?【アジア初のメダリスト】
アントワープオリピックで活躍した日本人は、なんと言ってもテニスの熊谷 一弥(くまがい いちや)さんです。
熊谷さんは日本だけでなく、アジア勢としても初のオリンピックメダリストとなりました。
熊谷 一弥さんが獲得した2つのオリンピック銀メダル
アジア勢初のオリンピックメダルを獲得社となった熊谷さんですが、この大会で二つの銀メダルを獲得しています。
熊谷さんが活躍した競技はテニスですので、シングルスとダブルスです。
シングル、ダブルスともに世界トップの成績を出すというのはとても難しいはずです。
アジア初、日本人初という快挙をシングルスとダブルスで同時に成し遂げていることは素晴らしく、同じ日本人として誇りに感じますね。
※ダブルスのパートナーは、柏尾誠一郎選手。
【テニスプレーヤー】熊谷 一弥さんって、どんな人?
日本人、アジア人初のオリンピックメダリストとなった熊谷さんですが、アントワープオリンピックのみの活躍ではありません。
慶應義塾大学に在学中から公式テニスを開始した熊谷さんは、実力をつけアジアのトップ選手となりました。
海外の大会や遠征に積極的に参加し、実力を蓄えていきました。
1916年の全米選手権に参加したことによって、日本人テニス選手として最初の4大大会出場者となります。
この遠征で熊谷さんは「全米ランキング5位」となります。
それ以降の1921年までの間、熊谷さんは全米ランキング10位以内をキープするという偉業を成し遂げました
ちなみに熊谷さん以降、オリンピックでメダルを獲得したテニス選手は、錦織圭選手ただ一人です。
【まとめ】アントワープオリンピックで活躍した日本人って誰?【アジア初のメダリスト】
竹中平蔵さんが、現在の「東京2020オリンピック・パラリンピック」の厳しい状況を比較する意味で取り上げたアントワープオリンピック。
スペイン風邪の流行下で開催されたアントワープ大会でしたが、初のメダル獲得となり日本にとって歴史的な大会となりました。
本記事では、アントワープオリンピックでアジア勢として初のメダリストとなったテニスの熊谷選手について取り上げました。
ぜひ、「東京2020オリンピック・パラリンピック」においても、第7回アントワープ大会(1920年)に負けないくらいの感動を与えてくれることを期待したいですね。
※スポーツ関連に関しては、以下の記事も合わせて読まれています。
>千代の富士が一代年寄にならなかったのはなぜ?本当の理由とは
>早藤将太キャディがマスターズでやったお辞儀の理由【松山英樹との共通点】
>「女タイガー・ウッズ」こと笹生優花|女ウッズと呼ばれる理由とタイガーとの類似点について
>白井健三の引退理由はなぜ?【怪我】や【成績不振】とは別の理由も
>松坂大輔の嫁って、今なにしてるの?妻「柴田倫世」の現在について
>無観客開催の東京オリンピック|出場拒否する理由【拒否増加の可能性も】
>サイン盗みって、なぜダメなの?野球規則にない暗黙のルール【罰則あり】